選べることは幸せ【不治の病と戦っているであろう元塾生を想う】

もう2年以上経って、自分の中でも整理がついたのですが、学習塾に通っている生徒の中で、不治の病で通えなくなった中学1年生がいました。

 

教室までの長い階段を登ると、息があがってしまって、一度休憩しないと歩けない。やっと2階までたどり着いて、ベンチでひと休みです。チャイムが鳴ってもなかなか席まで移動できず、最初の頃は正直なところ「どんだけ勉強したくないんだよ」と思っていました。

 

担当講師も心配そうに様子を見つつ、他の生徒の授業を進める、そんなわけでまったく予定通りに授業が進みませんでした。授業時間も疲れてしまって1時間も持たない、そんな日々が続き、精密検査したところ、筋ジストロフィーという診断でした。予想外の展開で、最初に聞いたとき自分がどのように受け止めたのか覚えていません。

 

筋肉が徐々に働かなくてなっていき、最後は寝たきりになってしまいます。高校に入学したとしても、みんなと同じような高校生活を送ることはできないだろうということで、結局塾は辞めて、限られた時間、できることをやる、ということになりました。それっきり会うこともなく、年末には年賀状を送る程度のことしかできません。

 

私は、人生の先輩として、塾の先生として、母親の相談役として、何もできなかったわけです。最後に何を伝えたのか、これまた覚えていません。

 

ただ、この経緯を通じて「選べるということは、なんて幸せなことなんだろう」と思うようになりました。

・勉強頑張ってもいいし、しなくてもいい

・高校行っていいし、行かなくてもいい

・働いてもいいし、働かなくてもいい

選ぶことができます。

 

・勉強したくてもできないかもしれない

・高校行きたくても行けないかもしれない

・働きたくても働けないかもしれない

そんなこと考えたこともなかったので、選べることのありがたさ、幸せというものを本当に実感するようになりましたね。

 

以来、テクノロジーの進化に興味を持つようになりました。介護分野のハードウェア、ソフトウェア開発がものすごい勢いで進んでいます。ちょうど自動車の自動運転技術が応用できる部分が多いようです。近い将来、介護分野でのAI導入、ロボット導入が成功して海外にも提案できるくらいの魅力があるといいですね。

 

AIでもビックデータでもロボットでも何でもいいから、筋肉が動かないくらい何とでもなる世の中になってほしい、間に合ってほしい、と心から願う今日この頃です。